2023年4月より史跡探訪の方法を変更
従来の史跡探訪は部員全員が同じ場所を訪問していました。しかし昨今では部員の増加に伴い、スムーズな進行が困難になり、移動時の安全確保にも問題が懸念されることから探訪の方法を変更することにしました。
部員をA班、B班の2班に分割し訪問先も別々の箇所に行きます。
A班は奇数期、B班は偶数期としました。
訪問回数は従来通り年間18回で変更なし。
歴史講座は従来通り全員一緒に受講します。
したがたって本日の史跡探訪。
訪問先: A班 光悦寺、源光庵、常照寺
B班 車折神社、鹿王院、油掛地蔵尊
講師: A班 株式会社らくたび 山村純也先生
B班 株式会社らくたび 田中昭美先生
写真は光悦寺、源光庵、常照寺
3月16日 本日の史跡探訪
訪問先 野々宮神社、常寂光寺、落柿舎
講師:株式会社らくたび 田中昭美先生
令和4年度最後の史跡探訪、大変良い天気に恵まれ暑いぐらいの日でした
野宮神社とは、縁結び・子宝安産の神様として信仰を集めるパワースポットです。京都嵐山の竹林の小径の中にあり、源氏物語「賢木の巻」にも登場しています。
常寂光寺は慶長年間(1596〜1614)に大本山本圀寺第16世究竟院日禛上人により開創。本堂は慶長年間に小早川秀秋公の助力を得て、伏見桃山城客殿を移築し造営する。 仁王門は、元和二年(1616)に大本山本圀寺客殿の南門(貞和年間の建立)を移築、仁王像は運慶作と伝えられる。什物に高倉天皇より小督局に下賜された車琴がある。 これは小早川秀秋公より当山に納付されたものである。(非公開)
落柿舎は、京都市右京区の嵯峨野にある草庵で、松尾芭蕉の弟子・向井去来の別荘として使用されていた場所であり、その名の由来は、庵の周囲の柿が一夜にしてすべて落ちたことによる。芭蕉も3度訪れ滞在をし、『嵯峨日記』を著した場所としても知られている
3月9日 本日の史跡探訪
訪問先 御嵯峨・亀山天皇陵、天龍寺(法堂、本堂、曹源池庭園)
講師:株式会社らくたび 田中昭美先生
天龍寺は
臨済宗天龍寺派の大本山。足利尊氏が後醍醐天皇の冥福を祈るために、後嵯峨上皇の亀山殿の跡地に創建されました。
日本で最初に史跡・特別名勝に指定された場所としても有名。平成6年(1994)には、世界遺産「古都京都の文化財」の1つに認定・登録されて法堂の天井に描かれた巨大な雲龍図。天龍寺開山夢窓国師650年遠諱(おんき)記念事業として、日本画家加山又造画伯によって描かれました。
360度どの角度から見ても睨まれているように見えることから、「八方睨みの龍」とよばれています。爪が5本は特別な龍です。5本爪の龍は中国では皇帝の身の回りで使うものにしか表してはいけない決まりでした。
史跡探訪部
3月2日 本日の史跡探訪
訪問先 鹿苑寺(金閣寺) わら天神宮 平野神社
講師:株式会社らくたび 田中昭美先生
金閣寺
正式には、鹿苑寺。臨済宗相国寺の山外塔頭で世界文化遺産(京都17ヵ所の一つ)です。
元は鎌倉時代の公爵、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。
わら天神宮(敷地神社)
古来、稲藁で編んだ籠に神餞を入れて捧げていました。籠から抜け落ちた藁を安産のお守りとし、その藁に節があれば男の子、なければ女の子が生まれると授与した事から「わら天神」信仰が広まり定着しました。
平野神社
延暦13年平安遷都にあたり、桓武天皇が大和の各地に祀られていた四神を勧請させたのが、創建とされている。本殿は四殿二棟からなり「平野造」とも称され、二殿一体となっている独特な形式です。桜の名所ても親しまれています
2月16日 本日の史跡探訪
講師:株式会社らくたび 田中昭美先生
行き先 木嶋神社(蚕ノ社)→広隆寺→蛇塚古墳
木嶋神社(蚕ノ社)
養蚕、織物、染色の守護神
創建は不明ですが、太秦にある秦氏ゆかりの社です。特に有名なのが、日本で珍しい三柱鳥居です。三方から拝むことができる造りとなっています。
広隆寺
603年(推古天皇11年)秦河勝が聖徳太子から賜った仏像を本尊として建立した京都最古の寺。その本尊が国宝指定第1号の弥勒菩薩半跏思惟像です。
蛇塚古墳
京都府下最大値規模の横穴式石室を有する前方後円墳であったが墳丘封土は失われ、現在は露出した石室のみが残る。
名称の「蛇塚」は石室内に蛇が棲息していたことに由来するという。
12月8日 本日の史跡探訪部
本日より2月9日まで歴史講座になります。
講師:株式会社らくたび 山村純也先生
今日の歴史講座は、敗者の美学①~⑧の最後で『江戸時代』と敗者達です
◎島原の乱と敗者達〈キリシタンの鎮圧政策〉〈天草四郎と一揆の終焉〉
◎忠臣蔵と敗者達〈忠臣蔵の主人公・大石内蔵助とは〉〈悪役?吉良上野介の生涯と逸話〉
◎大塩平八郎と敗者達〈時代背景と大塩平八郎〉〈乱の鎮圧とその影響〉
◎幕政改革と敗者達〈江戸の三大改革とは〉〈政治的敗者となった松平定信と水野忠邦〉
負けた方に真実が隠されている。
12月1日 本日の史跡探訪
講師:株式会社らくたび 山村純也先生
桂春院、妙心寺、退蔵院
師走に入り寒さが一段と増して来ました。
今学期最後の史跡探訪で64名の参加者がありました。
桂春院は、
慶長3年(1598)織田信忠の次男津田秀則が創建した見性院がはじまり。
寛永8年(1631)に美濃の豪族石川貞政によって堂宇が整備され、桂南守仙和上を開山とし、桂春院と改めた。『真如の庭』『清浄の庭』『思惟の庭』『侘びの庭』禅式枯山水の庭ががあり、禅寺ならではの趣きを味わうことが出来る。
退蔵院は
妙心寺の塔頭。方丈では退蔵院開祖である無因宗因禅師が祀られている。方丈を取り囲むように狩野元信が作庭した枯山水庭園『元信の庭』方丈南方の八百五十坪に及ぶ地泉回遊式庭園『余香苑』は中根金作氏よる昭和な名庭。画僧如拙が足利義時の命により心血をそそいで描いた寺宝「瓢鮎図」(国宝)を目にすることができます。
妙心寺は
臨済宗妙心寺派の大本山。広大な敷地には46の塔頭寺院が建ち並び「雲龍図・日本最古名梵鐘・明智風呂」など、多数の見所があります。
11月24日 史跡探訪
講師:株式会社らくたび 田中昭美先生
昨日の天気とはうってかわり、史跡探訪日和になりました。
嵯峨路は紅葉真っ只中でたくさんの観光客で賑わっていました。
10月28日、史跡探訪部の訪問先と授業風景
本日の訪問先は伏見稲荷大社、石峰寺、寶塔寺の3ヶ所でした。伏見稲荷から石峰寺への道すがら「ぬりこべ地蔵」にもお参りをしました。
❶ 伏見稲荷大社
伏見稲荷大社は全国に3万社を数える稲荷社の総本宮である。和銅4(711)年に稲荷大神を稲荷山に祀ったのが始まり。朱色は魔力に対抗し生命力を象徴する色とされ、境内の多くの社殿や鳥居に鮮やかな朱色が塗られている。境内や山中には信者から寄進された鳥居
が立ち並び、特に『千本鳥居』は伏見稲荷大社を代表するものとして有名である。千本鳥居を進んでいくと「おもかる石」がある。
❷石峰寺
石峰寺は黄檗山萬福寺を本山とする黄檗寺院である。平安時代中期に源満仲が摂津国多田郷に建てた沙羅連山石峰寺に発するという。萬福寺の千呆禅師によって建立された禅道場である。寛永年間に当寺に草庵を結んだ画家・伊藤若冲は禅境を好み石峰寺裏山に五百羅漢を制作した。本堂南には伊藤若冲の墓と書家貫名海屋(ぬきなかいおく)の撰文の筆塚がある。「若冲は錦小路の青物屋の長男であったが家督を弟に譲っている。天明の大火(1788年)の時、若冲は多くの絵を描き、錦市場を再建する資金とした」と住職の説明があった。
❸寳塔寺
寳塔寺は藤原基経の発願で創建された極楽寺を前身とする。当初は真言宗であったが、日蓮宗の日像上人と極楽寺住職・良桂律師と法論を行い、良桂は日像に帰依し極楽寺は日蓮宗に改宗した。1590年、日蓮、日朗、日像三代の遺骨を納めた塔があることにより寺名を寳塔寺に改めた。多くの塔頭寺院が立ち並ぶ深草屈指の寺院として古い由緒を伝える。
本堂、多宝塔、四脚門は重要文化財に指定されている。
仁王門の天井には椿の絵額が上げられている。
6月10日
6月10日の史跡探訪は梅雨の晴れ間で33度を記録した炎暑の中、42名が参加して、昨年2月に国宝に指定された八坂神社の本殿前から円山公園を東へ上り、安養寺から弁天堂、慈鎮和尚多宝塔から長楽寺などを森明子講師の説明を受けながら訪問した。
写真は入力順に
1、 八坂神社西門
2、 八坂神社本殿(国宝に指定されたもの)
3、 安養寺 入口
4、 安養寺での授業風景
5、 長楽寺入口
シニア大学 史跡探訪部授業風景
6月3日は浄土宗総本山で、東山華頂山に位置する知恩院を部員44名が探訪。
国宝に指定されている山門と御影堂を前に講師の田中昭美先生から説明を受けた後、友禅苑、御影堂、方丈庭園、勢至堂、濡髪大明神などを2時間かけて拝観した。