史跡探訪部の活動報告

2023年6月15日 史跡探訪部

2023年4月より史跡探訪の方法を変更

従来の史跡探訪は部員全員が同じ場所を訪問していました。しかし昨今では部員の増加に伴い、スムーズな進行が困難になり、移動時の安全確保にも問題が懸念されることから探訪の方法を変更することにしました。

 

部員をA班、B班の2班に分割し訪問先も別々の箇所に行きます。

A班は奇数期、B班は偶数期としました。

訪問回数は従来通り年間18回で変更なし。

 

歴史講座は従来通り全員一緒に受講します。

 

 

したがたって本日の史跡探訪。

訪問先: A班  光悦寺、源光庵、常照寺

     B班  車折神社、鹿王院、油掛地蔵尊

  講師:  A班  株式会社らくたび 山村純也先生

        B班  株式会社らくたび 田中昭美先生

 

写真は光悦寺、源光庵、常照寺

2023年3月16日の史跡探訪部 授業風景

316日   本日の史跡探訪  

訪問先  野々宮神社、常寂光寺、落柿舎

講師:株式会社らくたび 田中昭美先生

 

令和4年度最後の史跡探訪、大変良い天気に恵まれ暑いぐらいの日でした

 

野宮神社とは、縁結び・子宝安産の神様として信仰を集めるパワースポットです。京都嵐山の竹林の小径の中にあり、源氏物語「賢木の巻」にも登場しています。

 

常寂光寺は慶長年間(15961614)に大本山本圀寺第16世究竟院日禛上人により開創。本堂は慶長年間に小早川秀秋公の助力を得て、伏見桃山城客殿を移築し造営する。 仁王門は、元和二年(1616)に大本山本圀寺客殿の南門(貞和年間の建立)を移築、仁王像は運慶作と伝えられる。什物に高倉天皇より小督局に下賜された車琴がある。 これは小早川秀秋公より当山に納付されたものである。(非公開)

 

 落柿舎は、京都市右京区の嵯峨野にある草庵で、松尾芭蕉の弟子・向井去来の別荘として使用されていた場所であり、その名の由来は、庵の周囲の柿が一夜にしてすべて落ちたことによる。芭蕉も3度訪れ滞在をし、『嵯峨日記』を著した場所としても知られている

2023年3月9日の史跡探訪部 授業風景

3月9日 本日の史跡探訪

訪問先  御嵯峨・亀山天皇陵、天龍寺(法堂、本堂、曹源池庭園)

講師:株式会社らくたび 田中昭美先生

 

天龍寺は

臨済宗天龍寺派の大本山。足利尊氏が後醍醐天皇の冥福を祈るために、後嵯峨上皇の亀山殿の跡地に創建されました。

日本で最初に史跡・特別名勝に指定された場所としても有名。平成6年(1994)には、世界遺産「古都京都の文化財」の1つに認定・登録されて法堂の天井に描かれた巨大な雲龍図。天龍寺開山夢窓国師650年遠諱(おんき)記念事業として、日本画家加山又造画伯によって描かれました。

360度どの角度から見ても睨まれているように見えることから、「八方睨みの龍」とよばれています。爪が5本は特別な龍です。5本爪の龍は中国では皇帝の身の回りで使うものにしか表してはいけない決まりでした。

 

 

2023年3月2日の史跡探訪部 授業風景

史跡探訪部 

 32日  本日の史跡探訪

訪問先  鹿苑寺(金閣寺) わら天神宮 平野神社   

講師:株式会社らくたび 田中昭美先生 

 

金閣寺

正式には、鹿苑寺。臨済宗相国寺の山外塔頭で世界文化遺産(京都17ヵ所の一つ)です。

 元は鎌倉時代の公爵、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。

 

わら天神宮(敷地神社)

古来、稲藁で編んだ籠に神餞を入れて捧げていました。籠から抜け落ちた藁を安産のお守りとし、その藁に節があれば男の子、なければ女の子が生まれると授与した事から「わら天神」信仰が広まり定着しました。

 

平野神社

 

延暦13年平安遷都にあたり、桓武天皇が大和の各地に祀られていた四神を勧請させたのが、創建とされている。本殿は四殿二棟からなり「平野造」とも称され、二殿一体となっている独特な形式です。桜の名所ても親しまれています

2023年2月16日の史跡探訪部 授業風景

2月16       本日の史跡探訪

講師:株式会社らくたび 田中昭美先生

行き先 木嶋神社(蚕ノ社)→広隆寺蛇塚古墳

 

木嶋神社(蚕ノ社)

養蚕、織物、染色の守護神

創建は不明ですが、太秦にある秦氏ゆかりの社です。特に有名なのが、日本で珍しい三柱鳥居です。三方から拝むことができる造りとなっています。 

 

広隆寺

603(推古天皇11)秦河勝が聖徳太子から賜った仏像を本尊として建立した京都最古の寺。その本尊が国宝指定第1号の弥勒菩薩半跏思惟像です。

 

蛇塚古墳

京都府下最大値規模の横穴式石室を有する前方後円墳であったが墳丘封土は失われ、現在は露出した石室のみが残る。

名称の「蛇塚」は石室内に蛇が棲息していたことに由来するという。

 

 

2022年12月8日の史跡探訪部 授業風景

128 本日の史跡探訪部 

 本日より29日まで歴史講座になります。

講師:株式会社らくた 山村純也先生

 

今日の歴史講座は、敗者の美学の最後で『江戸時代』と敗者達です
島原の乱と敗者達〈キリシタンの鎮圧政策〉〈天草四郎と一揆の終焉〉
忠臣蔵と敗者達〈忠臣蔵の主人公・大石内蔵助とは〉〈悪役?吉良上野介の生涯と逸話〉
大塩平八郎と敗者達〈時代背景と大塩平八郎〉〈乱の鎮圧とその影響〉
幕政改革と敗者達〈江戸の三大改革とは〉〈政治的敗者となった松平定信と水野忠邦〉

負けた方に真実が隠されている。

2022年12月1日の史跡探訪部 授業風景

121日  本日の史跡探訪

講師:株式会社らくた 山村純也先生

桂春院、妙心寺、退蔵院

 

師走に入り寒さが一段と増して来ました。

今学期最後の史跡探訪で64名の参加者がありました。

 

桂春院は、

慶長3年(1598)織田信忠の次男津田秀則が創建した見性院がはじまり。

寛永8(1631)に美濃の豪族石川貞政によって堂宇が整備され、桂南守仙和上を開山とし、桂春院と改めた。『真如の庭』『清浄の庭』『思惟の庭』『侘びの庭』禅式枯山水の庭ががあり、禅寺ならではの趣きを味わうことが出来る。

 

退蔵院は

妙心寺の塔頭。方丈では退蔵院開祖である無因宗因禅師が祀られている。方丈を取り囲むように狩野元信が作庭した枯山水庭園『元信の庭』方丈南方の八百五十坪に及ぶ地泉回遊式庭園『余香苑』は中根金作氏よる昭和な名庭。画僧如拙が足利義時の命により心血をそそいで描いた寺宝「瓢鮎図」(国宝)を目にすることができます。

 

妙心寺は

 

臨済宗妙心寺派の大本山。広大な敷地には46の塔頭寺院が建ち並び「雲龍図・日本最古名梵鐘・明智風呂」など、多数の見所があります。

2022年11月24日の史跡探訪部 授業風景

11月24日   史跡探訪

講師:株式会社らくたび 田中昭美先生
昨日の天気とはうってかわり、史跡探訪日和になりました。
嵯峨路は紅葉真っ只中でたくさんの観光客で賑わっていました。


今日の探訪先は清涼寺・祇王寺・二尊院

清涼寺  五台山と号する浄土宗知恩院派の寺
千年来、嵯峨釈迦堂の名で呼び親しまれています。本尊釈迦如来像は国宝で日本三如来の一つに数えら昔から広く信仰され、三国伝来の生身のお釈迦さまとして拝する人々のこころを魅了し続けている。体内に絹で作られた五臓六腑が施入されていた。 
 
祇王寺は、平家物語に登場する 平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が清盛の心変わりにより都を終われるように去り、母と妹とともに出家、入寺した悲恋の尼寺として知られている。
 
二尊院は、本尊の「釈迦如来」と「阿弥陀如来」の二尊を祀る寺院。嵯峨天皇の勅願により慈覚大師が建立

2022年10月20日の史跡探訪部 授業風景

10月20日 本日の史跡探訪部
 
訪問先:今宮神社・西向寺・建勲神社
 講師:株式会社らくたび 田中昭美先生
 
今宮神社(いまみやじんじゃ)
一条天皇の御世、平安以前より疫神を祀るこの地に疫病を鎮めるお社として994年創祀され、新たな社との名である「今宮」と号されました。
やすらい祭で知られる鎮疫・健康長寿の社、西陣の氏神として人々の崇敬を集めています。
 
西向寺(さいこうじ)
幸阿弥谷と称し浄土宗知恩院派の寺院で本尊は阿弥陀如来・二十五来迎菩薩。
1630年清譽浄顕上人が西向庵と称する小草庵を創建し、念仏弘通の道場としたのが起こりである。南脇壇に「二葉の弥陀」称する阿弥陀如来坐像が祀られています。藤原時代中期の作と言われている
 
建勲神社(たけいさおじんじゃ)
一般には〈けんくんじんじゃ〉と呼ばれている。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社の一つである。
織田信長を主祭神とし子織田信忠を配祀する。刀剣ゆかりのある神社としても知られている。

2022年9月29日の史跡探訪部 授業風景

暑い間のホールでの歴史講座が終わり、
爽やかな季節に入り、史跡探訪が始まりました。
 
講師は株式会社らくたびの田中昭美先生
 
第8回史跡探訪は安井金毘羅宮・建仁寺・両足院・京都ゑびす神社
 
安井金毘羅宮は、
元禄8年僧道怒が太秦安井にあった蓮華光院をこの地に移建された際に、
讃岐の金毘羅大権現の祭神大物主神を勧請し鎮守府としたことに始まる。
あらゆる悪縁を切り良縁を結ぶ碑のあることでも知られている。
 
建仁寺は
臨済宗建仁寺派の大本山で、建仁2年明庵栄西が創建。
応仁・文明の乱や幕府の衰退により荒廃したが、天正年間に入って豊臣秀吉の
信任を得た安国寺恵瓊によって復興。
寺宝には、俵屋宗達筆の「紙本金字著色風神雷神図」所蔵
 
両足院は
開山は建仁寺35世龍山徳見が創建。黒田長政に所縁の塔頭である。
回遊式庭園の池を半夏生が囲んでいて「半夏生の寺」と呼ばれている。
 
京都ゑびす神社は
建仁寺の開祖栄西禅師が、宗国から帰国の途中海難事故に遭遇したが、
ゑびす神の守護によって無事難を免れることが出来たと伝い、そのことから
建仁2年建仁寺の建設に先だって寺の鎮守社としたのが起こりと伝えられている。

2022年6月16日の史跡探訪部 授業風景

 

6月16日、今日の史跡探訪
一学期最後の史跡探訪です。
次回から夏の間は歴史講座になります。
方広寺、豊国神社、蓮華王院(三十三間堂)、養源院を周りました。
方広寺は、秀吉ゆかりの遺蹟のひとつで鐘と石垣が残っている。秀吉は天正13年大仏殿の建立を計画、文禄4年(1595)に竣工したが、慶長元年(1596)7月の大地震により倒壊、大破した。徳川家康の勧めもあって再び工を起こし17年竣工した。19年に盛大な開眼供養が行われる予定だったが銅鐘の銘文中に「国家安泰・君臣豊楽」の文字で家康を呪詛するもの言いがかりをつけこれを口実に大坂冬・夏の陣となった。
豊国神社は、阿弥陀ヶ峰の中腹に創祀された秀吉を祭神とする神社であるが豊臣滅亡後徳川によって社殿を取り払われ、祭祀!絶つこと300年に及んだ。明治維新後政府は秀吉の偉勲を追賞し、明治11年に方広寺大仏殿跡に社殿を再興した。
蓮華王院(三十三間堂)は、後白河上皇が長寬2年宝住寺御所内に一宇の仏堂を建立し、一千一体の千手千眼観音堂を安置さ、蓮華王院と称されたのを起こりとする。
養源院は、豊臣秀吉の側室淀君が父浅井長政の追善のため文禄3年成伯法印を開山として建立した寺で、長政の法号養源院をとって寺名とした。その後火災により焼失、淀君の妹お江により伏見城の遺構を用いて再建。「血天井」は伏見城の戦いで廊下で自刃した兵士をお弔いされるものである。俵屋宗達の杉戸絵「白象・麒麟・唐獅子」は血天井の英霊を慰めする為に描いたものである。

2022年6月9日の史跡探訪部 授業風景

今日の史跡探訪
御寺 泉涌寺とその塔頭「即成院」「戒光寺」「今熊野観音寺」
泉涌寺は、古くから皇室の香華院として尊崇され、御寺(みてら)と呼ばれている真言宗泉涌寺派の大本山です。
即成院は、正曆3年に恵心僧都が伏見に建立した光明院をはじまりとしています。以後さまざまな変遷をへて、明治時代に現在の地へ移りました。本堂には、木造阿弥陀如来と二十五菩薩座像を安置する。那須与一ゆかりの寺院としても知られている。
戒光寺は、安貞2年宋国より帰朝した雲照律師が御堀河天皇の勅を得て、東寺の近くに開いた戒律の道場を起こりとする。天保2年泉涌寺で塔頭となる。本尊丈六釈迦如来像は鎌倉時代の仏師 運慶・湛慶親子の合作。身代わりのお釈迦様と呼ばれている。
今熊野観音寺は、西国十五番霊場として今熊野観音と呼ばれている。平安時代、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開創されました。本尊は大師が熊野権現より授かった一寸八分の観音像を胎内仏として自ら彫られたとされる一尺八寸の十一面観世音菩薩である。

2022年6月2日の史跡探訪部 授業風景

今日の史跡探訪部
上善寺、天寧寺、西園寺の三ヶ所
先週と同じく地下鉄鞍馬口駅下車、太陽の照りつける暑い日になりましたが時たま吹いてくる爽やかや風に気持ちよさ感じました。
上善寺は、千松山遍照院上善寺といい、浄土宗知恩院末の寺である。貞観五年に比叡山の慈覚大師円仁和尚によって現在の千本今出川の地に天台密教の道場として建立された。豊臣秀吉の時に現在の地、寺町鞍馬口に移った。 
地蔵菩薩立像は京都六地蔵の一つで、毎年8月23日~24日の両日六地蔵巡りには多くの参拝客で賑わう。
天寧寺は、萬松山と号し、会津若松にあった曹洞宗の寺で、天正の変で全焼した。焼け残った本尊や寺宝を収拾し、京都所司代板倉勝重等の支援で復興した。門から奥まで視界をさえぎる物がなく、山門を通して眺める比叡山の秀峰は額縁に入れたように見えることから「額縁の門
」た呼ばれている。
西園寺は、宝珠山竹林寺と号し浄土宗に属する。藤原(西園寺)公経が、元仁元年北山の別業内に一宇の仏堂を建立し、西園寺と号したのに
はじまる。

2022年5月26日の史跡探訪部 授業風景

 

今日の史跡探訪部
西林寺、宝慈院、三時知恩寺、大聖寺
西林寺は、延暦年間(781~806)愛宕山中興の祖慶俊僧都が桓武天皇の勅命によって開基された天台宗の寺院。乱れ咲く木槿の草むらから地蔵尊を感得されたところから「木槿地蔵尊」と呼ばれるようになった。
宝慈院は「千代野御所」と呼ばれる門跡寺院のひとつで、無外如大尼によって創建された。非公開であり、今回も残念ながら入境・拝観出来ませんでした。
三時知恩寺は、浄土宗知恩院派の尼門跡寺院で「入江御所」とも呼ばれている。御柏原天皇の代に、宮中において昼夜六時勤行(1日6回の勤行)のうち昼間三時(みとき・三回)をこの寺で行うようとの勅命によって、寺号を三時知恩寺という。以来皇女が相次ぎ入寺され明治維新に及ぶ。
大聖寺は、岳松山と号する臨済宗の単立寺院で、「御寺御所」とも呼ばれる。天皇家ゆかりの尼門跡寺院である。通常は非公開である。
室町幕府「花の御所」跡地の一部にあると言われている。境内に「花の御所」と記された石碑がある。

2022年5月19日の史跡探訪部 授業風景

今日の史跡探訪
報恩寺、白峰神宮、晴明神社
報恩寺は、豊臣秀吉ゆかりの「鳴虎図」を所蔵し、鳴き虎の報恩寺と呼ばれている。
黒田官兵衛の嫡男である、黒田長政は当寺でその生涯を閉じ、父子の位牌が安置されている。
白峰神宮の御祭神は崇徳・淳仁天皇
社地は代々、和歌と鞠の宗家である飛鳥井家の屋敷跡で、平安京の昔から鞠の守護神「精大明神」が祀られていた。近年は球技、スポーツ競技及び学芸の上達を願い参拝する人が多い。
晴明神社は、平安時代中期の天文学者・阿倍野晴明を祀る神社です。

2022年5月12日の史跡探訪部 授業風景

シニア大学 史跡探訪部
第2回 史跡探訪は八神社、銀閣寺、法然院の三ヶ所
八神社は銀閣寺の北にあり、
天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、足皇産霊神、生皇産霊神、御饌津神、大宮乃売神、事代主神の八神を祀る。
銀閣寺(慈照寺)は東山慈照寺といい、相国寺の境外塔頭。江戸時代金閣寺に対して銀閣寺と称せられることになった。文明14年から室町幕府八代将軍足利義政によって造営。
法然院は善気山法然院萬無教寺と号し別称には本山獅子谷法然院がある。延宝8年知恩院第38世萬無和尚は法然ゆかりの地に念仏道場を建立することを発願す
数寄屋風の茅葦の山門を入ると両側に白い盛り砂(白砂壇)があるが、水を表す砂壇の間柄を通ることは心身を清めて浄域に入ることを意味するとしている。

2022年4月28日の史跡探訪部 授業風景

2022年度 シニア大学 史跡探訪部の
史跡探訪が先週から始まりました。  
第1回は山越の印空寺→広沢池→児神社→遍照寺
印空寺は印空上人が美濃国立政寺から入洛し、仁和寺二十三世門跡、覚隆法親王よりこの地を賜り元禄元年(1688)七堂伽藍を建立したのが始まりされます。
児神社(ちごじんじゃ)
遍照寺を建立した寛朝僧正の稚児を祭神とする神社で、僧正が他界された時、後に残された稚児は悲しみのあまり広沢池に身を沈めた。その霊を弔う社。
遍照寺は広沢山と称する真言宗御室派の準別格本山。989年に火山法皇の御願のより寛朝僧正によって開創された
途中、桜守の佐野藤右衛門さんの所により桜と自然界についてお話しを聞きました。

2021年10月28日の史跡探訪部、授業風景

1028日、史跡探訪部の訪問先と授業風景

 本日の訪問先は伏見稲荷大社、石峰寺、寶塔寺の3ヶ所でした。伏見稲荷から石峰寺への道すがら「ぬりこべ地蔵」にもお参りをしました。

伏見稲荷大社

 伏見稲荷大社は全国に3万社を数える稲荷社の総本宮である。和銅4(711)年に稲荷大神を稲荷山に祀ったのが始まり。朱色は魔力に対抗し生命力を象徴する色とされ、境内の多くの社殿や鳥居に鮮やかな朱色が塗られている。境内や山中には信者から寄進された鳥居

が立ち並び、特に『千本鳥居』は伏見稲荷大社を代表するものとして有名である。千本鳥居を進んでいくと「おもかる石」がある。

❷石峰寺

 石峰寺は黄檗山萬福寺を本山とする黄檗寺院である。平安時代中期に源満仲が摂津国多田郷に建てた沙羅連山石峰寺に発するという。萬福寺の千呆禅師によって建立された禅道場である。寛永年間に当寺に草庵を結んだ画家・伊藤若冲は禅境を好み石峰寺裏山に五百羅漢を制作した。本堂南には伊藤若冲の墓と書家貫名海屋(ぬきなかいおく)の撰文の筆塚がある。「若冲は錦小路の青物屋の長男であったが家督を弟に譲っている。天明の大火(1788)の時、若冲は多くの絵を描き、錦市場を再建する資金とした」と住職の説明があった。

❸寳塔寺

 寳塔寺は藤原基経の発願で創建された極楽寺を前身とする。当初は真言宗であったが、日蓮宗の日像上人と極楽寺住職・良桂律師と法論を行い、良桂は日像に帰依し極楽寺は日蓮宗に改宗した。1590年、日蓮、日朗、日像三代の遺骨を納めた塔があることにより寺名を寳塔寺に改めた。多くの塔頭寺院が立ち並ぶ深草屈指の寺院として古い由緒を伝える。

 本堂、多宝塔、四脚門は重要文化財に指定されている。

 

仁王門の天井には椿の絵額が上げられている。

6月10日の活動報告

6月10日

 

 6月10日の史跡探訪は梅雨の晴れ間で33度を記録した炎暑の中、42名が参加して、昨年2月に国宝に指定された八坂神社の本殿前から円山公園を東へ上り、安養寺から弁天堂、慈鎮和尚多宝塔から長楽寺などを森明子講師の説明を受けながら訪問した。

 

写真は入力順に

1、      八坂神社西門

2、      八坂神社本殿(国宝に指定されたもの)

3、      安養寺 入口

4、      安養寺での授業風景

 

5、      長楽寺入口

6月3日の活動報告

シニア大学 史跡探訪部授業風景

 

6月3日は浄土宗総本山で、東山華頂山に位置する知恩院を部員44名が探訪。

 

国宝に指定されている山門と御影堂を前に講師の田中昭美先生から説明を受けた後、友禅苑、御影堂、方丈庭園、勢至堂、濡髪大明神などを2時間かけて拝観した。

入学お申し込み・お問い合わせ

電話: 075-256-5810

ファックス: 075-256-5910

Email: kyoto.senior@gmail.com

 

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<会場・教室>

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京都新聞社本社ビル

7階文化ホール

※地下鉄烏丸線丸太町駅・7番出口

 

<事務局>

京都市中京区烏丸通夷川上る ビルHANA2階

営業時間:9:00~17:00

休業日:土・日曜日、祝日

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